古くから続く群馬の名湯
磯部温泉の歴史と歩み
磯群馬県南西部に位置する磯部温泉は中仙道に程近く、古来より碓氷峠を往来する旅人や湯治客で賑わっていました。昔から温泉が涌き出でていることは知られていましたが、天明三年(1783年)の浅間山大爆発により湧出量が飛躍的に増え、今日までの発展をしていったと言われています。明治に鉄道が整備され信越線が開通すると、避暑地として定着し、各都市から多くのお客様で一層賑わうようになりました。
成分は重曹食塩泉で、特に神経痛・胃腸病に効能があります。また、豊富な鉱泉を利用して作られる磯部せんべいは、磯部温泉の名物として全国にその名が知られています。
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日本最古
温泉マーク発祥の地
時は江戸時代、万治四年(1661年)、上野国。当時、碓氷郡と呼ばれていたところには、上磯部村と中野谷村という村がありました。ある時、双方の農民が土地を巡り、ちょとしたいさかい事を起こします。お互いに譲ることなく、むしろしだいにエスカレートしていき、ついには江戸幕府を動かす騒動となりました。事態の収束を図るため、江戸幕府は双方に判決文を下します。
その幕府が出した判決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁之覚」に添えられた地図には、なんと、淵から三本の湯気が立ち上る、おなじみの「あの」記号が二つ、記されていました。
そして現代、磯部温泉史を研究していた編集委員の一人が作業中に偶然その記号の存在に気づきます。江戸幕府の判決文公布から300年以上の時を経た、一九八一年のことでした。すぐさまその編集委員は専門家に鑑定を依頼。その結果、記号は磯部温泉の場所を示し、温泉マークとしては日本最古のものと判明しました。
日本温泉協会によると、現在、地図や絵文字などで使用されている「温泉マーク」は、明治時代に、当時の内務省が地理調査などで使用していたものに端を発し、泉質により様々な形がありましたが、「最も分かりやすい形」として、明治後期ごろ現在の形になったと言われています。偶然の一致とはいえ、江戸時代初期の公文書で磯部温泉は、既に「温泉マーク」でその存在を示されていたのです。